Tの新聞記者が「雑民」を郷愁するコラムへの強烈な違和感

 

知ったかぶり、されるとムカつく。

みたいな非常に単純で分かりやすい、でもあまりにも強烈な違和感を覚えて仕方ないコラムに出会ってしまいました。トランスジェンダーの東京新聞の記者・田原牧氏が執筆したこのコラムの何処にここまでの違和感と不快感を覚えたのか、何度も何度も読み返してみるとくっきりとした輪郭を持ってその理由が見えてきました。
今回は、僕が感じた違和感、不快感の理由を記します。

 

三橋順子氏絶賛!世界に誇るジャーナリストのコラムとは?

まず、このコラムの存在を知ったのは11月28日の三橋順子氏のこのツイートでした。

結構長い文章ではありますが、学術的な読みづらい文章ではなく、平易な語り口で記されていますので、まずはお読みください。

深夜、目覚めた場所 第四回「雑民」たちの浄化(集英社新書WEBコラム)

2016年5月7日の東京レインボープライドの前日祭を短時間覗いてみたことを端緒に、「LGBTブーム」であると田原氏が捉えている現状への不満、批判を書いているということはご理解いただけると思います。

田原氏の批判の矛先は

・LGBTブーム
・東京レインボープライド
・東京レインボープライドのスポンサー
・広告代理店
・パートナーシップ証明書を発行している地方自治体
・とりわけ渋谷区のパートナシップ条例と広告代理店出身の長谷部区長
・自民党の性的指向・性自認に関する特命委員会
・(当時)自民党政調会長だった稲田朋美氏
・2003年の性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律の動き
・「府中青年の家裁判」「新木場事件」が風化されかけている現実

などなど、非常に多岐に渡っています。

コラム内で、トランスジェンダー当事者である田原氏が、現在LGBTを語る人たちのトランスジェンダーに対する「半知半解」ぶりを批判しています。
「半知半解」とは聞きなれない四字熟語ですが、辞書による

知識や理解が中途半端なこと。

だそうです。
つまり「知ったかぶり」で物を語っている人を批判しているわけです。

これは非常にまともな意見です。
特にトランスジェンダー当事者である田原氏が語るトランスジェンダーに関する記述はとても参考になりました。

上記に挙げたように田原氏の批判の矛先は多岐に渡っています。
新聞記者というお立場で取材されたことなどがベースになっているだろう政治に関する部分や、当事者だからこそ知りえた、かつ感じられただろうトランスジェンダーに関する部分には、私も「半知半解」な批判はできません。

ですから、ここから記す私の考えは、ゲイ当事者であり、ゲイ雑誌の編集に1995年から2014年まで携わってきた人間として知りえて、かつ実感していることだけに限ります。

少々長い文章になると思いますが、お付き合いいただけると幸いです。

 

違和感を覚えた私の考え方のスタンス

まず、プライド・パレードなどに関する私の考えを先に述べておきます。

私がゲイ雑誌「G-men」の編集に携わったのは、1995年4月の創刊号が発売される少し前のことです。ゲイ雑誌の仕事をするのは初めてのことで、分からないことだらけであり、疑問に思うことも多々ありました。

その中でもとても大きい疑問は

海外のゲイ雑誌(例えば「OUT」など)は大企業の広告が当たり前のように載っているけれど、なぜ日本ではそれがありえないことなのだろう?

と言うことです。
しかし、これは考えればすぐ分かることでした。

なぜなら、日本のゲイ雑誌はポルノグラフィーだからです。

「OUT」に代表される海外のゲイ雑誌は、ポルノではなくライフスタイル雑誌なのです。裸の男が出てきたとしても、エロではなくセクシーな方向性です。
日本ではエロ抜きのゲイのライフスタイル雑誌が成立するほど当時は市場が成熟していませんでしたから、これは仕方のないことです。

しかし、海外のゲイ・ライフスタイル雑誌や、プライド・パレードに一般の大企業が広告を出して支援している実情を知れば知るほど、

日本でも企業が目を向けない限りゲイ市場が成熟するはずがない

という考えが強くなっていきました。

「G-men」が創刊して5年後、2000年に「東京レズビアン&ゲイパレード」が開催されることになりました。
これを聞いた時に、僕は「チャンスがやってきた」と思いました。

なぜなら、

・ゲイだけでなくセクシュアル・マイノリティ全般が関わる
・エロではない、人権を訴える真面目なイベントの方向性

こそが、一般企業が支援しやすいものだと感じたからです。
このパレードをきっかけに、セクシュアル・マイノリティに注目が集まれば、状況は変わっていくのではないか、と期待しました。

しかし、様々な理由で一般企業がパレードに目を向けるようにはなりませんでした。
また回を重ねるうちに、パレードに参加する人や、会場や沿道で応援する人たちの顔ぶれがいつも変わらないなあと実感するようになりました。

大きく広がっていかないパレードに対する僕の期待は年を追うごとに萎んでいきました。パレードの体制も色々と変化して、真夏に開催されていた「東京レズビアン&ゲイパレード」はなくなり、ゴールデンウィークに「東京レインボープライド」が開催されるようになりました。

2012年の第一回めは私は取材に行きませんでした。
初めて取材に行ったのは2013年の第二回め。
そして、翌年の2014年の第三回めも取材に行きました。

2013年と2014年の2回の取材で強烈に感じたのは、とにかく会場に来ている人たちが若くなった、ということです。
そして、「東京レズビアン&ゲイパレード」の会場で目立っていた、いわゆる活動家と言われる方々をほとんど見かけませんでした。と同時に、「東京レズビアン&ゲイパレード」と比べるとゲイの比率が極端に下がっていると感じました。

実際、この時期に新宿2丁目のゲイバーで「東京レインボープライド」の話をしても、開催されていることすら知らない人が多かったです。

「G-men」を辞めた後も、2015年、そして2016年と「東京レインボープライド」の会場には毎年取材に行っています。
前日祭と合わせて2日間の開催となった2015年以降、特に実感したのは下記の2点です。

・様々なセクシュアリティの人が混在している(ゲイの参加者も年々増えている)
・有名企業のブース出展が顕著に増えてきている

以前の「東京レズビアン&ゲイパレード」で目立っていたのは、市民活動家的雰囲気の方や、ドラァグ・クイーン、半裸のゲイたちでした。しかし、この2年の「東京レインボープライド」の会場には、それ以外のノンケも含む様々なセクシュアリティの幅広い年代の人々が集まっています。
私は2年続けて丸2日間朝から晩まで会場にいて取材をしましたが、様々な人が混在している状況は実に「風通しがいいなあ」と実感しました。市民活動家的雰囲気の方や、ドラァグ・クイーン、半裸のゲイたちばかりが目立つ会場では、なかなか足を踏み入れづらい方も少なくないでしょうが、そういう人たちも含めて幅広い人が集う会場は一種の祭のようなもので、参加するハードルがすごく下がったと感じました。

集う人が増え、幅が広がることは、当然注目度も高くなります(もちろん、そのために仕掛けられたこともあるのは分かった上で語っています)。当事者媒体以外のマスコミの報道も増えれば、一般の大企業や大使館なども競ってブースを出展し始めています。
かつて、私が願っていた状況に近づいてきているなあと、率直に喜んでいます。

長くなりましたが、これが私のスタンスです。
では、このスタンスから、田原氏のコラムに覚えた違和感を記してまいります。

 

東京レインボープライドに関する記述への違和感

東京レインボープライドの前日祭(2016年5月7日)に、会場の代々木公園イベント広場を訪ねた田原氏ですが、毎年会場を見ているわけではないようで、自民党の稲田氏が会場を訪ねる場面を見たくて

>この種のイベントは苦手なのだが

旧知のレズビアンの実行委員に誘われ訪れたようです。
で、

>どうにも身の置きどころが見つからず、私は早々に会場を後にした。

ということなので、ごく短時間しか会場にはいなかったと書かれています。
前日祭に短時間しかいなかったのであれば、まずパレードのことを語る資格がないと僕は考えますが、これは横暴な意見でしょうか?

①パレードにプラカードはなかったのか?

新聞記者として、稲田氏が会場を訪れたことを報道するのは構わないのですが、旧知の実行委員1名の個人的感想を引用しながらパレードの変化を語ります

>昔ながらの怒りのメッセージを記したプラカードも目にしたが、一枚だけ。旧知の活動家はほとんど見かけなかった。

と。
しかし、田原氏が短時間会場にいたのはあくまで「前日祭」です。
田原氏はご存じないのかもしれませんが、前日祭と当日では集客が約3倍違います
つまり、パレードを歩く人のほとんどは当日、プラカードを持参して会場に来るのです。(前日祭にプラカード持ってきても仕方ないですよね)

パレード当日は沿道で写真を撮っていましたが、僕が撮影できた範囲だけでも様々なプラカードを持って歩いている人々がいました。ソースとして、その一部をご紹介します。

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プラカードを持っている人たちが発散する雰囲気が「明るく」「脱色」されているから田原氏は気にくわないのかもしれませんが、事実は事実です。

11月にTPP反対のデモに関するツイートを見た時に、驚愕したことがありました。
「TPP反対」と大きく書かれた筵旗(むしろばた)を掲げた画像がツイートされていたのです。
この21世紀、2016年になって、その感覚の古さに驚き、同時にその古臭い感覚故にアピールし損ねる層がかなり多いだろうと感じたのです。
でも「昔ながらの」とプラカードを評する田原氏は、この「筵旗」感覚がないと納得しないのかもしれませんね。

 

②「電通」は会場で優遇されていたのか?

田原氏は「広告代理店」も気に食わないようで、下記のような一節が記されています。

>訪れたフェスタの会場の「一等地」には電通ダイバーシティ・ラボのブースが陣取っていた。

わざわざ鍵カッコで「一等地」と書かれていると、会場を訪れてない方は電通ダイバーシティ・ラボがとりわけ優遇されているように感じるでしょう。

しかし事実は全く異なります。

会場のブースはスポンサーのクラス(金額)によってスペースを割り振られています。
「一等地」という表現に適するのは、2016年のトップ・クライアントである

・チェリオ・コーポレーション
・Netflix

の二社です。
この二社はブースのスペースも広く、場所も文句なしに「一等地」でした。
でも、それだけ多くの金額を出してスポンサードされているのだから、当然のことです。
電通ダイバーシティ・ラボのブースは、他のクライアントと同じテント一竿分の一区画に過ぎず、その場所も会場の中心ではなく、かなり端の方でした。
どこをとって「一等地」と表現したのか、本当に理解に苦しみます。

なお、私は前日祭と当日の2日かけて、かなり多くの(少なくとも田原氏の何倍も)ブースの取材をしたので、その経験を基に記しています。
どこのブースが「一等地」だったかは、私のレポートをお読みいただけると雰囲気がわかると思います。

■参考記事
【TRP2016】東京レインボープライドに出展している企業ブースをひたすらまわって見えてきたLGBT市場への熱い期待感(Letibee LIFE)

 

美しき者の対比に一部のゲイを持ち出す無神経さ

東京レインボープライドに対する不満、批判を向ける田原氏の次の矛先は、田原氏が「ブーム」と決めつける現在のムーブメントに向買っていき、とんでもない展開を見せます。

>当事者が何もしていない、してこなかったとは言わない。ただ、いまのブームの仕掛け人は当事者ではない。だからなのか、一連の動きにもノンケの目線にいかに合わせるかという気遣いがそこかしこに感じられる。

という文脈で、渋谷区のパートナーシップ条例第一号として申請した元タカラジェンヌとパートナーの美形レズビアン・カップルが、デモンストレーション的にメディアに登場したことをノンケ目線に合わせた気遣いだと取り上げました。
私もこれには同意します。
当事者以外の多くの人の注目を集め、その人たちから拒絶ではなく興味を引き出すためには、話題性があり、かつ見目麗しいカップルが表に立ってくれるのはありがたいと思うからです。

しかし田原氏の問題は、ノンケ目線への気遣いの文脈で、この美しいレズビアン・カップルとは真逆の存在として、新宿二丁目ではないエリアのハッテン場であるサウナやホテルに集う中高年ゲイを持ち出してきたことです。

美しきレズビアン・カップルの対比として、つまり美しくない者たちとして一部の中高年ゲイを持ってくること自体が噴飯物であるのですが、ここが許せないのは「中高年ゲイ」が下記の構造で扱われているからです。

(このテキストを組み立てるにあたっては)ゲイの当事者でない田原氏が、ゲイ当事者ではないセクシュアル・マイノリティ(レズビアンとトランスジェンダー)と会話したことをベースに、気にくわないものをあげつらい批判する。その文脈で、美しくない存在として自分とは違うセクシュアリティの「中高年ゲイ」を取り上げ、具体的な地名を挙げた上で性的な面を持ち出し、そこをいわば恥部として扱っています。
あまつさえ、その美しくない例に挙げた中高年ゲイのカップルを

>私などにはほほ笑ましい光景だが

上から目線で論じています。

かなり具体的なエリア名を挙げることで、そこに集う基本オープンではないゲイにとって不利益をもたらすとは考えなかったのでしょうか?
上から目線に加えて、この無神経さ、中高年ゲイの当事者としては言葉を失う以外にありませんでした。

ノンケ目線に配慮した美形レズビアン・カップルが看板扱いされるのが不満で、その対比となる美しくない恥部を書かなければ気が済まないのならば、自分が当事者であるトランスジェンダーの性的な面を挙げるのが筋ではないですか?(もちろんトランスジェンダーの性的な面にどんなものがあるかは、当事者ではない自分はまったく分からないのですが)

トランスジェンダーやレズビアンには気を遣い、ゲイは傷つけ放題という田原氏の傲慢さは不愉快でなりません。

 

「府中青年の家」とパレードへのリスペクトは東郷健には向かわない

田原氏のテキストは最終的に、「府中青年の家」裁判などに触れながら

>東郷さんの被差別者の存在を明示するという闘いは閉ざされることなく、後の世代に多数派社会に対する告発として引き継がれた。パレードの「プライド」という名称も、その精神を継承していたはずだった。

と結ばれていきます。

が、しかし、この強引な結びにはまったく納得がいきません。

「府中青年の家」裁判を応援し続け、日本にプライドパレードを根付かせるきっかけを作ったのは、ゲイ雑誌「ザ・ゲイ」の東郷健編集長ではなく、ゲイ雑誌「アドン」の南定四郎編集長に他ならないからです。
南定四郎氏が中心となり、1994年に東京レズビアン・ゲイ・パレードが数年間開催された当時、「アドン」以外のゲイ雑誌(「ザ・ゲイ」「薔薇族」「さぶ」「サムソン」「バディ」「ジーメン」など)は、プライド・パレードに対してはとても冷淡な態度を取っていました。
ゲイ雑誌の編集を始めてからは、同業他誌は目を通すようにしていたので「ザ・ゲイ」誌が積極的に「府中青年の家裁判」やパレードを応援していたことなど全く印象に残っていません。
にもかかわらず、あたかも東郷健氏のスピリットがパレードの「プライド」という名称に引き継がれたかのような田原氏のコラムの展開には、まさに言葉を失ってしまったのです。

1980年代〜90年代にかけてのゲイ雑誌のことや、当時の先駆者たちが如何に差別と闘ってきたかということも、今の若い世代にとっては歴史上の過去にすぎません。
だからこそ、当事者だけが知りうる事実はきちんと残していかないとならないと考えます。

東京新聞のジャーナリストである当事者が記すことならば、歴史を知らない若い層はそのまま鵜呑みにしてしまう可能性が高いと思います。

 

田原氏が、東郷健氏や「雑民」という名称に思い入れがあるのは構わないのです。
しかし、当事者を取り巻く状況を気に入らないからといって、事実を曲解させるよう導いたり、他のセクシュアリティの当事者を傷つけたり、当事者の歴史を捏造するような真似は許されるべきでありません。

当事者の間のみならず一般にも知名度の高い三橋順子氏が「LGBT関係者は必読」とまで推すのであれば、ここに書かれている事は全て真実だ、と思い込む方も少なくないのは必至です。

真実を捻じ曲げてまで語る言説に、どれほどの価値があるのでしょうか?

ゲイ当事者だから実感したことや、実際にじっくり取材をしたから分かる部分、そしてゲイ雑誌の編集をしていたから把握していた事実、だけに限っても、田原氏のコラムは大いに問題を抱えています。
当事者ではない私が言及していない部分は、せめて誤りのない真実が書かれていて欲しいと願うばかりです。

About itaru 24 Articles
元・月刊Gーmen編集長。LGBTQI(セクシャル・マイノリティ)に関わる様々な事柄を取材・分析して、誰でも分かりやすい平易な言葉でお伝えしていくことを使命と感じています。

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